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醤油発祥の地はどこ?——和歌山・湯浅と「金山寺味噌のしずく」の物語

2026-07-17

醤油はいつ、どこで生まれたのでしょうか。多くの人が「醤油はずっと昔からあるもの」として食卓に置いていますが、その発祥地がはっきりと特定できる場所であることは、意外と知られていません。

答えは、和歌山県有田郡湯浅町。「日本醤油発祥の地」と呼ばれる、紀伊水道に面した小さな港町です。

きっかけは味噌樽の底のしずくだった

鎌倉時代、紀州由良の興国寺を開いた僧・覚心(法燈国師)が、中国・宋での修行を終えて帰国します。彼が持ち帰ったもののひとつが、金山寺味噌の製法でした。

金山寺味噌は、大豆・米・麦などの穀物に瓜や茄子を漬け込んで発酵させる、なめ味噌の一種です。湯浅の気候と水がこの味噌づくりに適していたため、地域で盛んに造られるようになりました。

このとき偶然見つかったのが、味噌を仕込む桶の底に自然にたまる褐色の液体でした。塩味と旨みが凝縮したこの「たまり」を舐めてみると、味噌以上に調味料として優れていることに気づきます。これが醤油の原型、「たまり醤油」の始まりだったと伝えられています。

港町・湯浅が醸造技術を育てた

湯浅が単なる発祥地に終わらず、醸造の一大産地として発展した理由には、地の利があります。

紀伊水道に面した湯浅は、古くから海運で栄えた港町でした。大豆や小麦といった原料の入手、そして完成した醤油を各地へ運び出す流通の両方に恵まれていたのです。江戸時代には最盛期を迎え、最盛期には90軒近くの醤油蔵が軒を連ねていたとされています。

この地で磨かれた醸造技術は、後に濃口醤油の一大産地となる千葉・銚子や野田へも伝わっていったと言われています。今の日本各地の醤油文化のルーツをたどると、湯浅に行き着くというわけです。

今に残る「生一本黒豆」

湯浅町には今も醤油と金山寺味噌を造り続ける蔵元が残っています。そのひとつが、明治14年(1881年)創業の丸新本家です。

代表銘柄の「生一本黒豆」は、契約栽培の丹波黒豆を100%使用し、杉の木桶で1年以上天然醸造した一本です。黒豆特有のまろやかな甘みとふくよかなコクが特徴で、醤油というより「つけ味の逸品」と呼びたくなる味わいになっています。モンドセレクション最高金賞を受賞した実績もあります。

発祥の地で今も守られ続ける、木桶仕込みの本格醤油。その一滴には、800年近い醸造の歴史が溶け込んでいます。

湯浅醤油の楽しみ方

醤油のルーツを、味わいながらたどってみてください。

よくある質問

醤油発祥の地はどこですか?

和歌山県有田郡湯浅町が「日本醤油発祥の地」とされています。鎌倉時代、僧侶が中国から製法を持ち帰った金山寺味噌を仕込む樽の底に溜まった液体が、醤油の始まりだったと伝えられています。

なぜ味噌から醤油が生まれたのですか?

金山寺味噌の桶の底に自然にたまる「たまり」が、味噌よりも塩味と旨みが凝縮した液体調味料として重宝されたためです。これが「たまり醤油」の原型となり、湯浅の醸造技術とともに全国へ広まっていきました。

湯浅の醤油はどこで買えますか?

湯浅町には今も複数の蔵元が残り、木桶仕込みの本醸造醤油を造っています。「丸新本家」の生一本黒豆など、Amazonをはじめ通販でも購入できる銘柄があります。

この記事で紹介した一本

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