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醤油を「むらさき」と呼ぶのはなぜ?——語源の諸説と、忘れられた銘醸地・土浦

2026-07-31

寿司屋のカウンターで「むらさき」と言えば醤油のことだと、多くの人が知っています。けれど、なぜ醤油が紫なのでしょうか。実際に皿に注いだ色は、どう見ても黒に近い茶色です。

この呼び名の由来には定説がなく、いくつもの説が並んでいます。

三つの説が並び立っている

ひとつめは、色をそのまま指したという説。醤油は光の当たり方によって、黒ではなく紫がかった赤褐色に見えることがあります。小皿に薄く広げたときの、あの深い赤みを紫と呼んだ、という理解です。

ふたつめは、価値になぞらえたという説。紫はかつて高貴な色とされ、位の高い者だけが身につけられた色でした。醤油もまた、庶民が日常的に使えるものではなかった時代があります。貴重なものを貴い色で呼んだ、という筋道です。

みっつめは、符丁(隠語)だという説。江戸の寿司屋や料理屋では、客に聞かせない業界の言葉が使われていました。あがり(茶)、なみだ(わさび)、ぎょく(卵)と同じ列に、むらさき(醤油)が並びます。店の言葉が客のあいだにも広まり、今日まで残ったという見方です。

どれが正しいかは決められていません。ただ、どの説をとっても共通しているのは、醤油が「ただの調味料」ではない存在として扱われていた、ということです。

醤油どころは、銚子と野田だけではなかった

関東の醤油の産地といえば、千葉の銚子と野田がまず挙がります。しかし江戸時代には、もうひとつの名前が並んでいました。茨城県の土浦です。

土浦は霞ヶ浦に面した水運の町でした。原料の大豆や小麦を運び入れ、仕込んだ醤油を江戸へ送り出す。その両方を水路でまかなえたことが、この地に醸造業が育った理由とされています。銚子・野田・土浦を合わせて「関東三大銘醸地」と呼ばれた時期があった、と伝えられています。

いま全国的な知名度で言えば、土浦の名は前の二つに大きく引き離されました。けれど蔵は、まだ残っています。

元禄元年から続く蔵の「紫峰」

土浦の柴沼醤油醸造は、創業が元禄元年(1688年)。330年を超える歴史のなかで、今も木桶仕込みを守り続けている蔵です。

看板商品の名は「紫峰(しほう)」。蔵から望む筑波山の別名から採られています。醤油を「むらさき」と呼ぶ語源説にも通じる名前が、産地の山の名としてそこにあったというのは、できすぎた話のようでもあります。

味は旨みの濃い、きりっとした関東の濃口。江戸の食卓を支えた土浦の醤油が、どういうものだったのかを今に伝える一本です。

紫峰の楽しみ方

呼び名の由来をたどると、その土地の歴史に行き当たる。むらさきの一滴は、そういう調味料です。

よくある質問

醤油をなぜ「むらさき」と呼ぶのですか?

定説はなく、諸説あります。よく挙げられるのは、醤油の色が光の加減で紫がかった赤褐色に見えるからという説、紫が高貴な色とされた時代に貴重な醤油をなぞらえたという説、そして江戸の寿司屋や料理屋で使われた符丁(隠語)が広まったという説です。いずれも確かな裏付けがあるわけではありません。

関東の醤油の産地はどこですか?

よく知られているのは千葉県の銚子と野田です。ただし江戸時代には茨城県の土浦も加えて「関東三大銘醸地」と呼ばれていました。霞ヶ浦の水運で原料と製品を運べたことが、土浦が産地として育った背景にあるとされています。

土浦の醤油はどこで買えますか?

土浦には元禄元年(1688年)創業の柴沼醤油醸造が今も残り、木桶仕込みを続けています。看板商品の濃口醤油「紫峰」は1L・765円ほどで、Amazonなどの通販でも購入できます。旨みが濃いので、刺身のつけ醤油から煮物まで少量で決まります。

この記事で紹介した一本

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