煮立たせてはいけない本当の理由
- 「菌が死ぬから」は誤解。市販の味噌は多くが出荷前に加熱処理されており、菌はもともと活動していません。
- 本当の理由は香り。味噌の香りは発酵中に酵母が生んだアルコール由来で、90℃を超えると揮発します。
- 香りが最も立つのは75℃前後。沸騰直前で火を止め、10分ほど置くとこの帯に入ります。
- 味が消えるのではなく香りだけが失われるため、いい味噌ほど煮立てたときの損が大きくなります。
「味噌汁は煮立たせてはいけない」。料理を習うと、ほぼ必ず言われることです。
理由として最もよく聞くのが「発酵食品だから、煮立てると菌が死んでしまう」という説明でしょう。ところがこの理由は、正確ではありません。
「菌が死ぬから」が誤解である理由
市販されている味噌の多くは、出荷前に加熱処理されています。味噌の中で酵母が生きたまま活動を続けると、容器の中でガスが発生して袋やカップが膨らんでしまうためです。
つまり、スーパーで買った味噌は、鍋に入れる前の時点ですでに菌が活動していない状態にあります。煮立てて死ぬ菌が、もともといないのです。
もうひとつ付け加えると、仮に生きた菌が入っていたとしても、加熱した菌に意味がないわけではありません。死んだ乳酸菌は腸内で既にいる善玉菌のエサとして働くと考えられており、加熱すると健康面での価値がゼロになる、という単純な話でもありません。
それでも「煮立たせてはいけない」は正しい教えです。ただし、守っているものが菌ではないというだけです。
本当に失われているのは、香り
味噌のあの香りは、発酵の過程で生まれます。
味噌の中では、麹の酵素がでんぷんを糖に変え、その糖を酵母がアルコールに変えていきます。さらにアルコールと酸が結びついてエステルという成分になり、これが味噌特有の芳醇な香りをつくります。熟成が進むほど、この香りは複雑になっていきます。
問題は、これらの香気成分がアルコール由来である点です。アルコールは水より低い温度で蒸気になります。そのため鍋の温度が上がるほど、香りは湯気と一緒に鍋から出ていってしまいます。目安として、90℃を超えるあたりから急速に失われるとされています。
ここで起きているのは「味が落ちる」ことではありません。塩けも旨みも鍋の中に残っています。失われるのは香りだけです。
煮立てた味噌汁を飲んで「まずい」とは感じないのに、どこか物足りない。その正体がこれです。人が「おいしい」と感じるときの多くは香りが担っているため、香りだけが抜けると、説明のつかない物足りなさとして残ります。
香りが最も立つのは75℃
では何度がいいのか。味噌汁の香りが最もよく立つのは、75℃前後とされています。
沸騰直前で火を止めて、そのまま10分ほど置くと、だいたいこの温度帯に落ち着きます。日本料理には「煮えばな」という言葉があり、これは煮汁が煮立つ直前の、香りが最も高く立つ瞬間を指します。味噌汁で狙いたいのは、まさにこの状態です。
温度計は必要ありません。湯気を見ていると、沸騰に近いうちは太い柱のように上がりますが、温度が下がるにつれて細い筋に変わります。この変化がひとつの目安になります。
実際のところ、味噌を溶いた直後は熱すぎることのほうが多いはずです。椀によそってから少し置く。それだけでも、鼻に届く香りははっきり変わります。
手順としてどうするか
流れに落とすと、こうなります。
まず、だしを取ります。ここは煮立てて構いません。次に具を入れて火を通します。根菜のように火の通りにくいものは、この段階で煮えている必要があります。
具に火が通ったら火を止め、味噌を溶き入れます。溶けたら、沸騰させない程度に温め直して仕上げます。
味噌を最後に入れるのは、加熱時間を最も短くしたい材料だからです。裏を返せば、味噌を入れてから「まだ大根が硬い」と気づくと、そこから煮るしかなくなり、香りを犠牲にすることになります。順番は、味噌のためにあります。
いい味噌ほど、差が出る
この話が効いてくるのは、味噌の質が上がったときです。
長く熟成させた味噌や、木桶で仕込まれた味噌は、香りの層が厚くなります。酵母が長い時間をかけて作った成分が、それだけ多く含まれているためです。
その味噌を煮立てると、失われる香りの絶対量も大きくなります。安い味噌と高い味噌を煮立てて比べると、差が縮まってしまう、ということが起こります。せっかく選んだ一本を活かすかどうかは、最後の火加減で決まります。
味噌を替えても味噌汁が変わらなかった、という経験があるなら、味噌ではなく温度のほうに原因があるかもしれません。
覚えておくとよいこと
- 「菌が死ぬから」ではなく「香りが飛ぶから」煮立たせない
- 香りはアルコール由来で、90℃を超えると失われていく
- 狙いたいのは75℃前後。沸騰直前で火を止め、少し置く
- 具は味噌を入れる前に煮えていること
- 香りの層が厚い味噌ほど、煮立てたときの損が大きい
火を止めてから味噌を溶く。この一手間だけで、同じ味噌が別のものになります。
よくある質問
味噌汁を煮立たせるとどうなりますか?
香りが飛びます。味噌の香りは発酵中に酵母が糖をアルコールに変え、そこから生まれたエステルなどの香気成分によるものです。これらは揮発しやすく、90℃を超えるあたりから蒸気とともに逃げていきます。味そのものが消えるわけではないため、「まずくなる」というより「香りだけがない状態」になります。いい味噌を使ったときほど、この差がはっきり出ます。
「煮立たせると味噌の菌が死ぬ」というのは本当ですか?
理由としては正確ではありません。市販の味噌の多くは容器が膨らむのを防ぐため出荷前に加熱処理されており、酵母や乳酸菌はもともと活動していない状態で売られています。つまり煮立てる前から「生きた菌に期待する」前提が成り立ちません。煮立たせない本当の理由は、菌を守るためではなく、その菌が時間をかけて作った香りを飛ばさないためです。
味噌汁の香りが一番立つ温度は何度ですか?
75℃前後とされています。沸騰直前で火を止めてから10分ほど置くと、おおよそこの温度帯に落ちます。温度計がなくても、湯気の立ち方が太い柱から細い筋に変わったあたりが目安になります。味噌を溶いた直後は熱すぎることが多いため、椀によそって少し置いてから飲むだけでも香りの立ち方が変わります。
味噌はいつ入れればいいですか?
具に火が通ってから、火を止めて溶き入れます。根菜のように火の通りにくい具材は、味噌を入れる前に煮ておく必要があります。味噌を最後に入れるのは、加熱時間を最も短くしたい材料だからです。溶いたあとに温め直す場合も、沸騰させずに温める程度にとどめます。


