Interview

千葉・香取「ちば醤油」。工場を移しても残した木桶と、「下総醤油」のものづくり

現地取材

千葉県香取市のちば醤油株式会社を訪ね、代表取締役社長の飯田恭介さんに直接お話を伺って書いた記事です。

ちば醤油の仕込み蔵に立つ木桶

工場を一つにまとめるとき、使い続けてきた木桶をどうするか。 千葉県香取市の「ちば醤油」では、旭市にあった工場の木桶を香取市の工場へ移し、仕込みを続けることにしました。 国産の丸大豆、小麦、塩を使った「下総醤油」は、その木桶で醸造されています。 代表取締役社長の飯田恭介さんに、木桶を残した経緯と、料理店の要望に応える調味料づくり、インドでの醤油づくりについて伺いました。

江戸の食卓へつながる、千葉の川

千葉で醤油づくりが盛んになった理由を尋ねると、飯田さんがまず挙げたのは、大きな消費地である江戸へすぐに運べることでした。

かつて、醤油を運ぶ手段は船でした。小見川にある同社の旧事務所の前にも黒部川が流れていて、荷を積み出す船着場があったそうです。昔の工場でつくった醤油はそこから利根川へ出て、江戸へ向かいました。

昭和6年(1931年)の初荷の風景
昭和6年(1931年)の初荷の風景(写真提供:ちば醤油)

周辺で大豆や小麦が採れること、冬の寒さが厳しくないことも、醤油づくりを支えた条件として挙がりました。麹は、湿気があって暖かい環境を好むからです。

代表取締役社長の飯田恭介さん
代表取締役社長の飯田恭介さん

ちば醤油の前身は、小見川の大村屋と、旭の飯田本店です。公式の沿革によると、大村屋商店は1854年(嘉永7年)、飯田本店の前身である飯田佐次兵衛商店は1864年(元治元年)と、ともに江戸時代に創業しています。二つの会社が合併して、1964年にちば醤油が誕生しました。公式沿革

合併の背景には、両家が親類としての縁を結んでいたことと、時代の変化があったといいます。高度経済成長期に入り、醤油にも大量生産と機械化が求められるようになっていました。合併後の1971年には、小見川工業団地に当時としては新しい設備の工場を建てています。

ただ、売り先はすぐには変わりませんでした。スーパーが出始めてからも、取引の中心は地元の飲食店や小売店だったそうです。流通の変化には乗り遅れていた、と飯田さんは振り返ります。

工場の集約と、移して使い続けた木桶

木桶を残した理由を伺うと、飯田さんは、工場を集約することになった当時の話をしてくれました。

旭工場は規模が小さく、排水処理などの面でも、市街地で工場を動かし続けるのは難しくなっていました。そのため、香取の本社工場へ集約せざるを得なくなったそうです。公式沿革にも、2014年に旭工場を香取市の本社事業所へ移したことが記されています。

そのとき、旭から香取へ運び、使い続けることにしたのが木桶でした。工場見学に来た人は、木桶の並ぶ場所でその迫力に驚きます。その様子を見てきたことも、木桶を残す理由になりました。きっかけは工場の集約でしたが、残しておいてよかった、と飯田さんは話します。

鋼鉄の箍(たが)で締めた木桶が並ぶ仕込み蔵
鋼鉄の箍(たが)で締めた木桶が並ぶ仕込み蔵

公式の商品紹介によると、木桶1本の円周は約10メートル、容積は8,000リットルあります。「下総醤油」商品紹介

それでも、木桶で仕込む醤油は年間およそ150キロリットルです。機械設備でつくる醤油はおよそ7,500キロリットルで、50倍の差があります。量と価格が求められる、食品メーカー向けの原料としての醤油は、機械でつくります。量は少なくても手づくりの醤油として知ってもらい、少し値段が高くても選んでもらう醤油は、木桶で仕込みます。その分け方が、のちの「下総醤油」につながりました。

木桶を使い続けるには、道具を直す人も欠かせません。

桶の胴を締める輪は、箍(たが)と呼ばれます。昔は竹を編んでつくっていましたが、竹で箍を編める職人はほとんどいなくなりました。同社の木桶は、50年ほど前に鋼鉄の箍へ替えています。ただ、その鋼鉄の箍を扱える職人も減っていて、千葉県内でも1人か2人しかいないそうです。

新しい木桶は、まだ入れていません。古い桶はいずれ新しいものと替えていかなければならない、と飯田さんは話していました。

木桶で仕込む「下総醤油」

その木桶で醸造するのが、ちば醤油の看板商品「下総醤油(しもうさしょうゆ)」です。原料には国産の丸大豆、小麦、塩を使っています。公式の商品紹介では、JAS特級の基準より全窒素分が10%多い「特選」クラスの醤油として案内されています。「下総醤油」商品紹介

ショーケースに並ぶ「下総醤油」
ショーケースに並ぶ「下総醤油」

醤油の品質の区分には、JASの特級・上級・標準があります。下総醤油は、そのいちばん上の特級の基準を上回るように、あえてつくった商品だといいます。

品質を決めるものを伺って、最初に返ってきたのは、良い麹をつくることでした。そのうえで、大豆の蒸し方が悪くても、麹の出来が悪くても醤油にはならない、と続けます。そこを担っているのは、昔からこの仕事を続けてきた職人たちです。公式の商品紹介にも、麹室(こうじむろ)で温度と湿度を保ちながら、時間をかけて麹をつくる工程が載っています。

木桶の上で作業する職人
木桶の上で作業する職人(写真提供:ちば醤油)
木桶の上から見た、熟成中のもろみ
木桶の上から見た、熟成中のもろみ

自宅で使う醤油の話になると、気にしていたのは開栓後の変化でした。開栓して時間がたつと、醤油は酸化して色が黒くなります。そうなった醤油は好まないそうです。

下総醤油には、瓶入りのほか、酸化を防ぐ二重構造のボトルもあります。毎日少しずつ使う家なら、容器の違いも一本を選ぶときの手がかりになります。

料理店の注文から生まれる、つゆとたれ

ちば醤油がつくるのは、食卓に置く醤油だけではありません。むしろ、企業向けの調味料の開発・製造が主力事業です。飲食店や食品メーカーなどの要望に合わせて、さまざまなたれやつゆを手がけています。

過去に応えきれなかった、うなぎの蒲焼きのたれの話も伺いました。

同社はかつて、うなぎ専門店向けのたれしかつくれませんでした。やがて、海外で加工して冷凍し、日本の売り場に並べる蒲焼きが増えていきます。そのたれをつくってほしいと頼まれ、中国まで足を運んだこともあるそうです。

求められたのは、冷凍した蒲焼きが店の棚に並んでも、焼きたてのように照りがあり、たれが垂れ落ちないことでした。当時の同社のたれは、醤油とみりん、砂糖を混ぜて煮詰めるだけのものでした。その注文には応えられなかったといいます。

現在は、ラーメン店などの要望に合わせて、醤油を土台に味を調整したたれを納めています。お客様の要望をかなえて買ってもらう企業向けの仕事は、かなりのところまで来ている、と飯田さんは話します。

海外への出荷も、同じ形で広がってきました。同社の商品が届いている国は20か国ほどあります。自ら売り込みに行ったのではなく、日本の商社を通じて、照り焼きソースはできるか、焼き鳥のたれはできるか、と注文が届くそうです。

今後の挑戦について尋ねたときも、飯田さんは、お客様から出てくる具体的な要望をつかむことに話を戻しました。

力を注いで開発した玄米黒酢は、思ったようには売れませんでした。一方で、ラーメンチェーンから頼まれた餃子のたれは、仕入れた酢と醤油、ラー油を合わせて瓶に詰めるだけでも、よく売れているそうです。頭で考えるより、実際のお客様が求めているものをつかむほうがいい。飯田さんが繰り返し話していたのは、そのことでした。

インドで試みた、現地の原料による醤油づくり

ちば醤油は、インドでも醤油づくりに取り組んできました。JICAの事業として、麹の発酵や醤油醸造の技術を現地企業へ伝える試みです。JICAの事業紹介

海外で醤油をつくるのは、同社にとって初めてではありません。公式の沿革には、1902年(明治35年)に飯田佐次兵衛が、日本人として初めてハワイで醤油の海外生産を試みたと記されています。

インドでの仕事のために、飯田さんは社内から技術者を4、5人指名しました。場所はニューデリーです。2か月に1回ほど現地に滞在し、現地の原料を使って、向こうの人たちと一緒に醤油を仕込んだそうです。

できた醤油を日本に持ち帰って分析すると、日本の特級に相当する数値が出たといいます。原料や水のおかげかと尋ねると、答えは技術でした。温度と室温を管理し、発熱の状態をずっと確かめて、そのつど直していった結果だといいます。

一方で、醤油ができることと、使ってもらえることは別の話です。インドで日本式の醤油を使うのは、高級なレストランや鉄板焼き、中華料理の店がほとんどだそうです。醤油を知らない人にとっては、黒くてしょっぱい液体に見える。飯田さんは、現地の受け止め方をそう説明していました。

飯田さん自身、家業に入る前はアパレル会社で働いていました。商品企画やマーケティングに関心があり、パンツをつくる会社に入りました。円安で輸出に乗り出したとき、体が大きいし大学も出ているのだから英語は話せるだろうと言われ、商品サンプルを持って米国へ渡ったそうです。3年ほど勤めたあとは、サンフランシスコで英語を学び、ちば醤油へ戻っています。

左から、柚子と檸檬のぽん酢醤油、生しょうゆの「下総醤油」、「下総醤油」
左から、柚子と檸檬のぽん酢醤油、生しょうゆの「下総醤油」、「下総醤油」

工場をまとめるとき、ちば醤油は木桶を旭から香取へ運びました。きっかけは工場の集約でしたが、木桶の並ぶ場所で驚く見学者の姿が、桶を残す理由になりました。

料理店のたれも、海外向けの照り焼きソースや焼き鳥のたれも、相手からの注文に応える形で広がってきました。今後の挑戦を尋ねたときも、飯田さんの話は、お客様の具体的な要望をつかむことに戻っていきました。

木桶で仕込む醤油は年間およそ150キロリットルで、機械でつくる量の50分の1ほどです。鋼鉄の箍を締め直せる職人は千葉県内に1人か2人しかおらず、新しい桶はまだ入っていません。

下総醤油を選ぶときは、その木桶のことも思い出してみてください。


【ちば醤油株式会社】 千葉県香取市木内1208 公式サイト:https://www.chibashoyu.com/ 「下総醤油」商品紹介:https://www.chibashoyu.com/shimousa/index.html 取材:2026年9月25日

よくある質問

下総醤油には、何が使われていますか?

国産の丸大豆、小麦、塩を使用し、木桶で醸造しています。公式の商品紹介では、JAS特級の基準より全窒素分が10%多い「特選」クラスの醤油として案内されています。

木桶で仕込む醤油は、どのくらいの量ですか?

年間およそ150キロリットルです。同社が機械設備でつくる醤油(およそ7,500キロリットル)の50分の1ほどにあたります。

下総醤油は、どこで購入できますか?

千葉県内の道の駅、房の駅などで取り扱っています。

下総醤油には、どんな容器がありますか?

瓶入りのほか、酸化を防ぐ二重構造のボトルがあります。使う頻度や量に合わせて選べます。

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